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無宗教葬について

無宗教葬とは、その名の通り「仏教の葬儀」「カトリックの葬儀」「神葬祭」のように決まった宗教の葬儀形式が決まっているわけではありません。
最近では「無宗教葬の式次第」や「無宗教葬用の祭壇」を用意している葬祭業者もありますが、本来、無宗教葬はどう執り行ってもかまわないものです。進め方は自由なのです。
しかし「進め方は自由」と言われると困ってしまうものです。そこで多少通常の葬儀式の進め方を参考にして、そこから特定の宗教色を排除したものを「無宗教の葬儀」ということで執り行われております。
フューネラルプランニング(葬儀計画書)を利用して、ご納得のいく葬儀を実現させることは新しい葬儀のあり方の実践にもつながります。
リンMCグループでは、様様な葬儀の形態に対応させていただくため、密葬の手配も承っております。ご相談ください。

無宗教葬の例

※プログラム例

1
前奏曲
6
葬送の言葉
2
献灯
7
代表献花
3
開式の挨拶
8
遺族代表の挨拶
4
思い出
9
一般参列者の献花
5
黙祷
10
閉式の挨拶

音楽が使われるのは最近の流行でもあるが、お経の音楽性の代用という意味もあります。
4の「思い出」はビデオやスライドを用いて故人の生涯を振り返るというもので、代わりに葬儀委員長の式辞で生涯を振り返ることもあるでしょう。
6の「葬送の言葉」は弔辞のことで、「弔辞」、「お別れの言葉」としてもいっこうにかまわいません。
告別の方法は、無宗教葬では献花が定番になっていますが、焼香でもよいでしょう。
先に火葬を済ませているのであれば、3の「開式の挨拶」の後に葬儀委員長、喪主による「遺骨入場」でも良いでしょう。参列者は立って迎えます。同じく、9の「一般献花」の後には「遺骨退場」が来ます。これを参列者が立って見送るのです。
火葬場に向かう場合には、近親者によるお別れの儀(柩に花を添えての対面)を経て出棺します。このときには宮型霊柩車を使用しないで洋型車を用意します。
ここで「思い出」あるいは「式辞」は読経や引導の役割に対応しています。
もちろん無宗教葬に定式はないのですから、ご本人が納得できるのであれば良いのです。
あくまでもここに挙げたのは一例にすぎません。

無宗教葬へのバリア

実際に「無宗教葬」への期待は高まっているものの、実施するとなるとまだ少数にとどまっているのが現状です。 都市部ではそれでも5%内外で実施されていますが、全国的には1%以下といったところです。
日本人の3分の1は非宗教層が占めているのになぜ少ないのでしょうか。その理由を考えてみました。

1.慣れていない

単純な答ですが、これが一番大きい理由です。数が少ないから慣れていない。したがって特殊に見られる、変わり者に見られる、と危惧するのです。密葬でもないかぎり葬儀は社会性を帯びます。社会から奇異に思われないかという不安はあるはずです。
また、仏式葬であるなら慣れていて対処にも不安がないでしょうが、不慣れな無宗教葬だとどう対処していいかわからないという不安もあります。

2.成仏できないのでは

宗教儀礼の本質は(各宗教宗派の位置づけは別として民衆が理解したところによれば)、死者を彼岸(あの世)に受け渡すことにあります。「成仏する」という表現は無事に死者をあの世に送ることを意味しています。宗教儀礼の伴わない無宗教葬であれば、この点がどうにも不確かになってしまいます。
「無宗教葬では成仏できない」とする不安は大きいです。

3.日常性の延長

葬儀は人の死に伴うものですから、精神的な危機に陥らせ、悲嘆、惧れ、不安、といった心理を招きます。こうした危機は死者の霊が荒れていることの反映として見られるため、鎮魂、遺族の危機心理の鎮静として宗教儀礼が機能しているのです。非日常性に対処する宗教性があったのです。無宗教葬ではもの足りなさや日常性の延長でしかない不満があるのです。

4.無宗教葬への拘りが少ない

無宗教葬はいいなと思っていても、特に意識して無宗教葬を選んでいる人は少数派であると思います。漠然と選んでいる。だから親戚その他から異議が出ると簡単に覆るという性格をもっているのです。特定の宗教宗派に属していないから無宗教葬という消極的理由を根拠としたものであるから、一応の形式としての宗教儀礼の提案に対しても抵抗力が弱くなるのです。

それでも無宗教葬が選ばれる理由

無宗教葬の実施はまだまだ少数派でありますが、これに対する理解が拡がっていることも事実なのです。
選ばれる理由を挙げてみます。

1.寺檀関係が弱くなった

寺檀関係とは葬式や法事における寺と檀家の関係だけではありません。今までは日常生活の文化の拠点的な性格が寺にはありました。これを檀家が支えていました。これが葬祭だけの繋がりだけになり、葬祭でも儀礼だけの関係になり、日常生活上の接点だけでなく、人間関係という接点もなくなってきたのです。
特に故郷を出て都会で生活するようになった人々は地元の菩提寺と切れるだけでなく、新たに都会で菩提寺を持つことが少なくなりました。
葬式だから僧侶を招いても、どの宗派でもかまわないとなってしまうのも、その時だけの係わり以上のものをお寺に期待しないからです。それなら不要とする人も出てくるのは自然なことです。

2.葬儀の理解の変容

葬儀を「死者をあの世に送るための宗教儀礼」というよりも「死者との別れ」であるとする理解が拡がっています。 死に対して宗教性を必要とする環境ではなくなりつつあります。このことが、例え宗教儀礼を伴ったにしても、宗教儀礼を形式と見なし、緊張感をもって行われない葬儀を多くする原因となっているのです。
葬儀式の設営であれば、本尊より遺影が大切にされるという感覚などがそうです。
本来はこれは二面性であり、いずれかという問題ではないのですが、葬儀の宗教性の比重の著しい衰退があるのです。
高齢化による死を偶発的危機という感覚の退潮も影響しています。

3.非宗教化

読経に対して「意味不明の言葉を長々とやって」という声が聞かれます。遺族や会葬者は宗教儀礼に共鳴するものを持ちえなくなっています。
僧侶側にも説明する努力や個別の死者への対峙を会葬者と共に行うという努力が不足している場合が多いのも実情です。 せっかくの死者と対峙する時間なのに、読経自体が無駄だという反発があります。

4.葬儀の定式化への反発

これは葬儀の個性化と言われるものであります。死者の生き方にふさわしい送り方があるのではないだろうかと考えても不思議ではありません。
仏式の葬儀は定式化しており、死者の顔が見えない葬儀だという反発もあります。「自分らしい葬儀」あるいは「葬儀の自己決定」を求める結果として、日常的に特定の宗教宗派に属していない以上、宗教儀礼を求めるほうが不自然との考えの台頭であります。

5.戒名の必要がない

普段から宗教観を持ち合わせていないのなら、戒名も必要ありません。費用面で抑える意味でも、無宗教葬が見直されてきています。

0120-255-297

ファイナルノート

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